『殺生石セッション』における一考察

⭐︎はじめに

こんばんは!もすこ。です。

殺生石セッション」のMVが公開されてから早いもので約1週間が経とうとしています。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

推しの8年越しのセンター曲。どういうものになるのか、MVが公開されるまで毎日毎日そわそわそわそわしていました。

推しが「たくさん考察してください」と言っていたので覚悟はしていましたが、予想をはるかに超えるものにかなり驚きました。公開されてから毎日毎日MVを見ては考察と妄想を繰り返し、「殺生石セッション」の世界観にどっぷりと浸かっています。(もともと、“和”がモチーフになっているものが大好きなのでより一層テンションが上がりました。)

今回のブログでは、「殺生石セッション」の楽曲・MV・歌詞をもとに私なりの考察(という名の妄想)をしていこうかなと思います。お時間ある時にでも読んでいただけると嬉しいです。

 

※なんちゃって論文形式で書いてみます。

※おそらく強めのとみしろフィルターがかかっております。苦手な方はご注意ください。

※あくまでも私個人の妄想です。所々に単なる感想も出てきます。

※既出のものとかぶっていましたら、申し訳ありません。

※以上のものを理解していただける方はどうぞ先にお進みください。

※随時修正を入れていく可能性もありますのでご了承ください。

 

【目次】

1 ベースとなる物語

2 鳥羽上皇玉藻前

3 玉藻前鳥羽上皇

4 討伐軍と陰陽師

5 「僕」と「君」

おわりに

 

1 ベースとなる物語

 この「殺生石セッション」を考察する上で、『殺生石伝説』がベースになっていることを前提としてすすめていきます。伝説の概要はWikipedia先生がわかりやすくまとめていたのでそちらをご参照ください。玉藻前 - Wikipedia(引用するには長かった…)

 上記の伝説をもとに、登場人物は以下の設定であると仮定します。

  とみたん ▷  玉藻前(=九尾の狐)

  白服さん ▷  鳥羽上皇(帝)

  あおいさん▷  陰陽師(安倍泰成)

  他の6人 ▷  後の討伐軍

 

2 鳥羽上皇玉藻前

 ベースとなっている『殺生石伝説』と同様に鳥羽上皇玉藻前を寵愛し、2人は深い関係であったと考えられます。

 基本的に平安時代の恋愛は御簾越しに出会って逢瀬を重ね、その後御簾を超えて思いを交わし深い関係になるとされています。この2人も同様に、出会いの場面が御簾越しで表現されています。男性側(鳥羽上皇)が女性(玉藻前)のもとに行くことで恋が始まるのですが、おそらく「いと麗しき霊妙な御前」の噂を聞いた帝が会いに行ったのだと思われます。

 この御簾を超えているかどうかは、作中の中で大きな区別を表していると考えられます。帝は御簾を超え、玉藻前と同じ空間で過ごす描写があります。(初見でMVを見た時には自分の目を疑いました。現実でした。2人が艶めかしくてドキドキしました。)しかし、それ以外(陰陽師を含む)7人は同じ御簾の中で過ごす描写がありません。御簾越しに踊っている描写はありますが…。この世界では、舞を踊ることが思いを伝える手段なんだと思います。現実世界でいう和歌の役割に近いものです。実際、玉藻前と帝の出会いも玉藻前は踊っていました。このことから、帝と他の7人とでは大きな違いがあることがわかります。

 

 思いを交わしていた帝と玉藻前ですが、「密告 良殿御 葛藤」からわかるように帝は何者かから玉藻前に関する密告を受けてしまいます。玉藻前の正体について知ってしまった帝は葛藤します。

殺生石セッション 是非」

ここでのセッションは心の中の会議、つまり葛藤の意味に近いのではないかと思います。玉藻前との関係を続けるかどうかの葛藤しているのだと思いました。

 しかし、玉藻前を取り巻く状況はさらに悪化します。玉藻前を巡っての争いが起こり始めます。最初は罵倒だけだったはずが、抜刀する状況にまでなってしまいます。

「地獄 良殿御 打倒」「殺生石セッション 是非」

 地獄のようになってしまった宮中。ついに帝は玉藻前 九尾の狐の討伐を決意します。ここで討伐を決意するのが帝らしさというか、苦悩の末っていうのがわかって辛いですね。

 

3 玉藻前鳥羽上皇

 玉藻前は伝説にも歌詞にもあるように、天竺(インド)・震旦(中国)を経由して倭国(日本)へやってきます。人間の精気を糧に生きるため、さまざまな人間と関係を築いたことが予想されます。

 「私はただ人間を愛しただけ」

 ここでの「人間」は種族としての人間であると考えられます。自分が生きるために必要な存在としての人間を愛していたのだと思います。(少し乱暴な言い方をすると、食糧とか餌の感覚に近いのだと思います。)ただそれだけで、そこに是も非も、良いも悪いもない。精気を与えてくれる種族として「人間」を愛していました。「貴方も先に逝くのね」は精気をもらいすぎて死んでしまった誰かのことを指していると考えられます。そして「拝々 どうせ全部私の所為でしょう?」からは、今までもきっと同じことがあったことが伺えます。

 そして、玉藻前鳥羽上皇に出逢ってしまいます。

「貴方が愛する人間に化けただけ」

 ここは「帝が愛する人間という生き物に変化しただけ」という意味ではないかと思います。そして正体を知った帝と討伐軍に追い詰められます。

「貴方も奪りに来たのね だったら喜んで差し上げるわ」

 「(討伐軍だけではなく)帝でさえも私の命を奪いに来たのなら、喜んで差し上げましょう」

ここはそういう意味が読み取れるような気がします。その証拠に玉藻前は一切攻撃をする素振りを見せていません。この物語の中で一貫して感じることですが、玉藻前は人間に対して一切悪意がないんですよね。勝手に「化け狐だ」「騙された」と騒いでいるのは人間のみ。玉藻前は純粋に人間を愛して、人間から愛されようとしているだけなんですよね。

 

4 討伐軍と陰陽師

 討伐軍の6人も、元々は玉藻前を愛した人間たちです。しかし、玉藻前の正体が化け狐だとわかり、矢先を向けることになります。愛から憎しみに変わったのです。ただ、弓矢をむけている6人の表情が、「正体が化け狐だと信じたくない」という葛藤が表れていてすごく辛くなりました。一度愛した存在に矢を放つのはどれだけ苦しいことなんでしょうか…。

 ちなみに、武器が弓矢なのは伝説上でもそうだから何だと思います。元弓道部の私はめせもあ。が弓矢を持ったことに歓喜いたしました。(静さんもいるけど)弓を持つ手の向きもあっていたので尚更感動しました。1番それらしい持ち方をしてそうだなと思ったのは野崎さんとゲルたんです。(いつか弓道着姿のめせもあちゃんが見たいです。)

 

 あおいさんは陰陽師なのでこの討伐軍とは少し立ち位置が異なると考えます。きっと玉藻前の正体を見破ったのはあおいさんで、それを帝や他の6人の前に晒したのもあおいさんだと思います。MVであおいさんが刀を振り狐の面が割れるシーンがありましたが、そういうことなんだと思います。

 ここで一つ気になるのは、妖狐がとどめを刺される時のあおいさんの視線です。彼はずっと妖狐から目を逸らしているんですよね。対する帝は最期までしっかりと見ています。きっと、この目線が意味することは、妖狐へ罪悪感なのかなと思います。正体を晒された結果、殺されてしまった妖狐。もしかしたら、陰陽師も妖狐を愛していたために「こんなはずではなかった…」と思っているのではないしょうか。

 そしてあおいさんは、妖狐の最期の目にうつる人です。正体を見破り妖狐が殺されるきっかけを作った人でもあります。このことから、これからくるSKやMWの因果に関わっているのかなと思いました。

 

5 「僕」と「君」

 さて、歌詞の最後に出てくる「僕」と「君」という存在。「昔は今」とあることから、妖狐の時代を経て現代の時間軸だと考えられます。「闇に紛れて泥に塗れて」は、他の方々も指摘していたように、SKとMWのことを指していると思います。そうすると、「僕」はとみたん「君」は白服さんだと捉えることができます。この(楽曲上での)2人の因果は「殺生石セッション」が起源だというように考えることもできます。

 何度も生まれ変わって、何度も同じだけど同じじゃない君に恋をする。だけど、結ばれることがない2人。「例え星が落ちたって 僕は何処にも行かない」とするならば、別れのきっかけはいつも「君」側なんだろうかと考えてしまいます。「僕」(の魂)はずっと同じ場所にいて(それこそ殺生石のように)ずっと「君」を待ち続けているのだと思います。

 (生まれ変わりでも良いけど、平行世界の2人っていう設定も良さそう)

 

6 そのほか色々気になること

 

・「死ぬ程褒めて?」「死ぬ迄惚れて?」の各々のセリフ

 普通に受け取れる人もいれば、引っかかるセリフの人もいるここの部分。個人的には「畏露しい」と「口惜しい」「侘しい」が全然ピンと来ていません。

 「畏ろしい」ということは、それを感じる場面があったのでしょうか…

 「口惜しい」「侘しい」は両方とも惚れた相手に使う言葉ではありません。どちらかというとマイナスな意味でつかわれる言葉ですが、なぜここで出で来たのかがすごく気になります。複数と関係を持っていることに対する嫉妬とかなのかな…

 

・SK、MWとの繋がり

 今回は歌詞で少し出てきていましたがどういう関わり方をしているのかすごく気になります。

 

⭐︎おわりに

 思いつくままにどんどん書いていたら、とんでもない量になりました…。でもここまで書いてもまだまだ考察できそうなことがたくさんあってものすごく楽しいです。

 ずーーーっと余韻にひたっていられるこの楽曲、本当にすばらしいですね。個人的には、halyosy先生の言葉の遊び方もすごく好きだなと感じる楽曲でした。MV・楽曲・歌詞どれをとってもまだまだ考察しがいがあって楽しかったです。

 

 気をつけたつもりではいますが、考察をしていった中で不味そうな表現があったら教えていただけると助かります。

 ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました!!みなさんの考察も是非お待ちしています!!

 

2021年11月17日 もすこ。